Nail Artist :NORIKO/ 典子
「フロリダに招かれてライブショーをおこなった日本人ネイルアーティストがいるんです。ぜひ紹介させてください」と、共通の友人を介してお会いしたのが「Nail Artist : NORIKO/ 典子」さん(当記事では以下NORIKO表記にて統一)。――凄い。実際に目にすれば誰もが驚く作品たちは、他に類を見ない。もはやネイルアートの域を超えた3Dやイラストも多数あり、そのリアル感、迫力に圧倒されるばかり。
「私、ネイルとは全く関係ない世界で生きてきたんです。たまたま幸運な出会いに恵まれ、今があるのですが、“自分が面白そう!やってみたい!”と思うことを突き詰めてきた結果、ここにたどり着いたという感覚なんです」。そう明るく話す彼女は、なんとお子さんが生まれてからネイルの勉強を始めたというから二度びっくり。異業種業界から、しかも母になってから挑戦したネイル業界で、今やアメリカに招かれるまでに進化したNORIKOさんは、どんな風にこのキャリアを築いてきたのでしょうか?
女性として、母として――キャリアを積み上げるうえで必要な考え方、また起業したときに必要となる「強み」の作り方など、まさにこれからの働く女性に向けて、勇気がわいてくる、スパイス満載のインタビューをどうぞご覧ください。
異業種からの挑戦、ストイックさだけが武器だった
NORIKOさんの今までの経歴、ネイル業界に入る前も含めて教えてください
「どこから話をすればいいか迷いますね…、そのくらい美容系とは縁遠い経歴です。ひとつ言えるとすれば高校時代、美術はとても好きで、美大希望だったくらい。でも結局は行かずに地方の大学(社会学部)を卒業して求人広告の会社に就職しました。バリバリの営業職で、新規顧客開拓から飛び込み営業まで何でもやるような新人時代でしたよ。それでも、悲壮感なくできたのは、当時の上司が女性で、比較的自由にやらせてくれたからです。思えば、周りが毎日カッチリスーツで営業する中、私はちょっと素材違いのスーツを着たりして、メイクやアクセサリーも楽しんでいるような風変わりな新人だったかもしれません。ネイルもファッションの一環として、自分で毎週塗り替えていたんです。もちろん、TPOにあわせた範囲内で。営業職である以上数字をあげることは絶対という前提がありましたが、身だしなみには寛容でした。今考えると、これが原点かもしれませんね」
新卒1年目でMVPを取るほどの優秀な営業マンだったとお聞きしました。
「よくご存知で笑。目標に対して貪欲というか、ストイックになってしまうのは昔からなんだなと思います。結婚してから名古屋に居住を移すことになった時には、当時の配属先(静岡)まで新幹線で通勤していました。毎日始発に合わせて家を出て、終電で帰ってくるようなハードな生活でしたが、営業としてのっていた頃でしたし、辞めようと思ったことは一度もありませんね笑」
母となり、ふと感じた社会との距離感が動くきっかけに。
そんな経歴のNORIKOさんがどうこの道に?
「子供が生まれてからは東京に移り、しばらくは専業主婦で子育てに専念する日々が続きました。ただ、新卒で入社してから5年の間、毎日忙しく仕事をしていた反動なのか、徐々に社会から取り残されていく感覚が強くなってきたんです。この感覚は、母になると最初に出会う壁でもありますよね。収入メインではなく、子育てしながらでも少し興味があることをやってみたいなと思うようになりました。いくつか候補があった中でピンときたのがネイルだったので、子供が幼稚園の年中になった年のある日、思い切って体験講座を巡ってみたんです」
「爪育」という考え方との出会い
「その時、“爪を育てる”というコンセプトの老舗ネイルサロン『ロングルアージュ』が併設するネイルスクールに出会いました。どんなことが学べるのか実際にサロンへ足を運んだのですが、爪自体を綺麗に魅せていくお手入れの技術に一目ぼれしてしまったんです。このサロンでは、爪の形は一種類しかないんです。というのは、その形が最も強度が出て、一番爪を健康に育てられる形だから。最初に店長さんに、ケアとポリッシュ、ラメのグラデーション2色をやってもらった時、7000円くらいかかった値段を「安い!」と思ったんですよ。すでにケアだけでも本当に綺麗だったんですが、トータルでやっていただいた時の感動は忘れません。この技術であればぜひ学びたい!と、そのままスクールも見学し、入学を決めました。実はこの時、たまたま社長がいらっしゃったんです。“爪育”という考え方を提唱されたその方にこの日会えたことも含め、運命だと感じてしまったんですよね笑」
この行動力と、タイミング運は、何かを引き寄せてる感がありますね
「そうかもしれません。フットワークの軽さと、こういう嗅覚みたいなものは、営業時代の経験から培われたのかな笑。とはいえ、一気に全てのプランを申し込んだわけではないんです。専業主婦でしたし、子供も小さかったので、ここは現実的に、お試しコースからスタート。子供が幼稚園に行っている時間だけ通えるスタイルで、ステップアップをしていきながら最後まで頑張ればトータルで学べるというシステムを選択しました」
やるからには本気。時間に制限があるからこそ誰よりも努力をした
「ただし、お試しコースからのスタートといっても、主婦の道楽にする気はありませんでした。自分で稼いだお金を投入して始めたので、やるからには上を目指し、技術力のあるプロになりたかったんです。最初の計画では、子育てや主婦業時間などのやりくりを考えて、週2回くらい、3年以内でトータルコースが取れれば…と思っていたんですけど。もうとにかく楽しくて気づけば1年くらいで全コースを終了してしまったんですよね。私はINAの技能検定を最初に受けたのですが、1回目でトリプルAランク(JNA検定でいう1級資格)を取りました。もちろん楽に取れたわけではなく、できる限りの時間を使って、必死で練習したんです。子供が寝て家事も終えた夜中、アクリルの匂いが漏れないように部屋を締め切って練習し、朝までに換気をして子供を幼稚園に送り出し、また練習と猛特訓の生活でした。またやれと言われてもできません笑。学校の先生に合格報告をしたときには心底びっくりされて、“10時~13時くらいまでしか自由な時間が取れない生徒が1年でトータルコースを終えたのは初めてだし、試験でトリプルAに一回で受かるのも初めてよ!”と」
その「絶対やるんだ!」という強い意志と共に、結果的に有言実行でやりきってしまうあたりが、新卒でMVPを獲得した当時の熱を彷彿とさせるエピソードですよね。ここまではとても順調に思えますが、いざここから働こうというとき、まず壁があったんですよね?
子育てと仕事を両立させて働くということ。
「試験に受かることがゴールではないので、ここからが本番、スタート地点です。プロになるためにやってきたわけですし、意気込みもあるのですが、子育てとネイリストとしての経験を積んでいくこととの両立をどうやりくりしていくかは、本当に試行錯誤しました。子供を幼稚園に預けている間は10時~13時半くらいまでしか働くことができません。小学校に上がっても学童にもまた時間制限があります。ネイルサロンが一番忙しい夕方以降のお客様は取れないわけです。ここの壁は大変大きなものでした」
女性のライフステージを理解してくれる環境のありがたさ。
「条件の合うサロンとなかなか出会えずにいたとき、卒業したネイルスクールに行って先生に近況を話していたんです。そうしたら、また社長が通りかかって。スクールに入るきっかけにもなった、あの社長です笑。すると、『ロングルアージュ』は、正社員雇用のみだったのですが、私の話を聞いた社長がすぐさま、“それならうちでやってみる?パート部門作ってあげるわよ?”と。もう、この社長とは私の分岐点には必ずすれ違う運命になっているようで、本当に感謝しています。本当にパート部門を作ってくださり、お店独自の技術認定試験なども受けながら、しっかりサロン勤務の実績を積ませて頂き、3年ほど『タアコバ銀座本店』でお世話になりました。ネイルを職業にする場合、この女性特有のライフステージに寄り添った働き方ができるか否かはかなり今後を左右しますよね。そういう面で、やはり理解のある経営者の方、サロンの方に恵まれたことは、私の財産だと思います」
こういう環境に恵まれるのも、NORIKOさんの“やりたい!”という本気度が伝わるからでしょうね。女性のライフステージの中で、「母」になったときの働き方をイメージするのが一番難しいと思うのです。特に、業界的にはそこの理解が深くはないように思いますので、そういう点からも先進的なロールモデルですよね。
「そうかもしれません。仕事と子育てをどう両立するか、その人のスタイルにもよると思うのですが、私は子供が4年生になり、学童がなくなった時点で、いったんサロン勤務を辞め、働き方を見直すことにしました。ずっとお世話になったスクールとサロンは、お話したようにポリッシュのみでしたのでまずはジェルネイルを本格的に勉強しようと学校に通いました。ネイルを職として生きていく以上はジェルのアドバンス技術が必須だと考えたからです。既に基礎技術はありましたので、プラスαのコースのみの受講だったのですが、そこを終了してからフリーランスとして独立することにしたんです。独立というと格好良く聞こえるかもしれませんが、自分には自由に出来る時間が限りなく少ないという現実に向かい合った結果です。子供の預け先がないとなると、母親って驚くほど時間がない!解ってはいたはずですが改めて笑。仮に外に働きに出たとしても、この状況ではどうしてもパフォーマンスを100%注げないですしね。それならば、限られた時間を自由にやりくりできる方法を選ぼう!と、思い切って選択した働き方でしたが、これが結果的にいい方向につながりました」
なるほど、そろそろ例の3Dネイルのお話につながってきますね?
「これがまた面白いところからつながるんですけれども、フリーランスになる前、ジェルネイルを学んでいる前後で、ハリウッドで特殊メイクをされている日本人の方が開催された、“粘土による彫刻セミナー”に偶然出会ったんです。ネットサーフィンで笑。好奇心からチラッとクリックしてみて受講したんですが、この内容がとにかく楽しくて。もともと小学生の時に絵の賞を頂いたり、高校時代は油絵などに没頭していたりしていたことをふと思い出したんですよね。“そうだ、私こういうアートが好きだったんだ!”と。ネイルの世界では、今までずっとケアメインでやってきて、もちろんそれは私の礎となっているものなのでとても大事なのですが、それとはまた別次元のフィールドが広がった気がしました。この講座からインスピレーションを得て、当時日本公開前だったハリウッド版ゴジラをモチーフに、ホームページを見ながら作った作品5本が最初の3D作品です」
このインスピレーションがまさに次のステップに向けての原動力になるわけですね。ジェルネイルを学んでから一気に立体制作に夢中になってしまったあたりが、これまでも自分がやりたいことに忠実に実行されてきたNORIKOさんらしい点ですよね
「そうかもしれません。その彫刻セミナーに来ていた人たちとの縁も私にとっては母になってからは味わったことのない、刺激をくれたんだと思います。アグレッシブな方たちで、舞台美術をやっている方や、CGを作っている方など、ちょっと変わった感性の方も多かったですね。感性で分かり合う感覚はとても心地よく、FBやインスタに作品を出したら“これすごくいいよ!”ととても喜んでくれて。それがきっかけで、SNSに作品を発表するようになりました。そうこうしているうちに連絡を頂いたのが、アメリカのネイル雑誌 Nails Magazineさんです」
作品は海を越え、国をまたぎ、世界に伝播していく。
「そのときの依頼が、“ゴジラ特集をやるから作品の写真を送ってほしい”というものでした。3D作品だけを扱った特集で、誌面・WEB共に掲載していただいたんです。最初に受けたインスピレーションで作ったお気に入りの作品が海を渡ったことは、私にとってもとても嬉しく、大きな自信にもなりましたし、好きなことを認めてもらえることの幸せを味わった瞬間でした。そうこうしているうち、何とアメリカのバイラルメディア、BuzzFeed(バズフィード)の記事でも、私の作品を掲載して頂いたのです。スターウォーズやフィジーウォーター、スノードームなどの作品が、最初はアメリカで、次に香港で、といったように、BuzzFeedがローカライズ展開している世界各地でどんどん回っていったときには本当に反応が大きかったんです。インスタフォローのリクエストがしばらくの期間、世界中から途切れなかったほど笑」
結果的に、世界的な口コミが口コミを呼び、ついにフロリダに行くことになるのですね。
「そうなんです。私の作品を見ていただいたようで、ある日、アメリカのメーカーさんからご連絡を頂きました。“フロリダのオーランドで開催される「Premiere Orlando 2016」というアメリカ最大級のビューティイベントに出展する際、デモンストレーションをしてくれる日本人アーティストを探している、ぜひ出てくれないか?”というご依頼を見たときには、本当に胸が躍りましたね。しかも、3Dネイルだけではなく、普通のネイルも見ていただいた上でのオファーだったので快諾しました。あっという間の2日間でしたが、あれだけの空間と人の中、何とかやり切れたときにはホッとしましたね。また、改めて、私の今後の方向性も明確になり、ネイルアーティストとして、そしてNORIKOと共に日本名の典子を入れて活動するようになりました」
NORIKOさんのキャリアをお聞きしているだけで、世界を回ってきた気分になりました笑。今少し落ち着かれていらっしゃるということですが、具体的にこれからの活動を教えてください。
「まだ子育ても終わっているわけではなく、ママ業がメインにあることは変わりません。ですから、しばらくはフリーランスでの一人営業が続きます。今までと同じようにできる時間にお客様を受けながら、メーカーさんのインストラクターとしての依頼を受けたり、作品作りに励んだりと、普段の日々はいたって穏やかです。でも、この穏やかな時間が、私の原動力を作っているんだということも経験から学んでいるので、あまり焦らずに、一方で自分の心の声には耳を傾けながら、いつか子供が大きくなったときには一気に作品を発表したいなと目論んでいますよ!」
とにかく前向きでポジティブ。自分のやりたいことに耳をしっかりと傾け、ここまで忠実に動ける気持ちを持ち続けられる人はどれだけいるでしょう。お話すればするほど、“ネイル業界の人だけでなく、少し先が見えなくなっている若い人には絶対にこの人に会ってみて欲しい。”そう思わせるほどのパワーを秘めたNORIKOさん。ネイルとは関係ない人生だったと言いつつも、営業職も専業主婦時代も、全てを糧にして今があるように思えます。「ひらめいたら即やる!」これが出来る人だからこそ、出会いにも運にも恵まれているんだろう、そんな引き寄せの法則を随所に感じる時間となりました。自分の大好きなネイル道、進む道も進み方も決まりはありませんね。子供がいても、時間に限界があっても、どんな形であっても「好き」があれば絶対にうまくいく。そんな勇気さえもらえるような彼女の生き方、これからも応援したいと思います。
TEXT BY 編集部
PHOTO BY 戸田敏治
EDITING BY 編集部、戸田敏治